訪問看護ステーションぱんだ佐世保の概要
訪問看護ステーションぱんだ佐世保は、令和5年11月1日に長崎県佐世保市に開設されました。東京に本社がありますが、社長さんの実家が佐世保ということで、佐世保の地でオープンされました。まだ、開設されて4か月が過ぎたばかりですが、『生活や、想いに寄り添う心』をモットーに看護を提供されています。今後、もっと皆さんに知っていただき、頼られるステーションにしていきたいと思っていると話されました。
悔しい忘れられない事例
「看護が有効に使われればもっと違ったのではと思うこと」
今回のインタビューで、梶間勇麿さん、村松惠美さんからお聴きした中で「悔しい事例」、「心残りの事例」があったことをお話しいただきました。このお話は、訪問看護ステーションぱんだ佐世保を立ち上げる前の経験談で、私たちの看護の可能性を広げる上で、大切なお話だと思い紹介します。
訪問看護の使い方は在宅の専門である、ケアマネジャーさんや、地域包括支援センターの方でも理解が十分でないという現状があります。残念なことに、病状が悪くなった時が、訪問看護の出番と思われている関係者の方は少なくありません。私たち看護師の役割は、医療的行為がある方だけでなく、利用者さんの健康管理、特に急性増悪の予防に効果を示すことが明らかになっています。入退院を繰り返す心不全の患者さんや、認知症の患者さんの、薬や生活の管理(食生活、体重の管理など)ができることで、病状が悪化することなく生活の質を保つことが可能ですが、訪問看護の出番がなければそれも叶いません。アマネジャーさんをはじめ、医療関係者が訪問看護の理解をしていないと、利用者さんの不利益を生じることになるので、在宅医療の関係者の方の認知度を上げていくために発信していきたいと思います。
お話いただいた次の2つの事例は、お二人にとって、訪問看護の可能性や役割を考える原点になっています。
管理者の村松惠美さんが経験された事例です。認知症のご夫妻のお話で、お互いの生活は何とか成り立っているとう状況はよくあるケースです。しかし、危険性を予測した見守りや連携があるかないかで、その生活の質は変わってきます。ある日、ご主人が不慮の事故で亡くなられたとの報告を受けました。訪問看護のサービスが入っていたら防げたかもしれない、もっと違ったのではないかと悔やまれたとおっしゃいました。
もう一つの悔しい事例は、梶間勇磨さんがお話しくださいました。病院から自宅に退院する、発達障害の子供さんの内服管理で訪問を開始した事例です。数回の訪問の後、母親が見れないということで、児童相談所に戻されたという経緯がありました。病気の特徴はあるものの、お子さんととてもいい関係ができていただけにどうすればよかったのだろう、何かできることはなかったのかとお話しくださいました。私たちは、常にチームの力を合わせ仕事をしていきます。この事例では、チームで話し合う機会がありませんでした。資源(公的機関、医療、教育関係者)を巻き込み、利用者本人、家族はもちろんのこと、皆でベクトルを合わせ、方法を探ることができたらもっと違った結果になっていたのかもしれません。
現場の看護師さんたちは、感動する事例だけでなく、悔いが残る事例にも多々出会います。それらが、上書き保存され、今日、明日の仕事に反映されていくんですね。
在宅の看取り:お母さんらしい最期の別れ
管理者の村松惠美さんは、訪問看護経験者10年目の看護師さんです。病院と在宅の違いは「いかに患者や家族の望みを叶えるか」が最も違うところとお話をされました。時に、家族と利用者さんの関係性によっては、最期の看取り、その後のお別れが泣き笑いになることがあります。50代のがんを患った利用者さんは、最期は自宅がよいと希望され、自宅で娘さんたちに見守られ亡くなられました。訪問看護師さんから、体をきれいにする時に家族に声をかけると、喜んで参加されました。お母さまは派手な方だったため、娘さんはお母さん好みの化粧を施し、お母さん好みのミニスカートの洋服を選ばれました。村松さんは、「まるで宝塚のようになったけど、娘さんたちは、その姿を見て、とてもお母さんらしく喜んでいらしたんです。それが嬉しかった」と話してくださいました。村松さんは、「看取りは家族と利用者さんの関係性が如実に表れる場」という表現をされ、家族が満足できることを第一に考えて配慮できる点が、在宅で看取る醍醐味であるとお話しくださいました。
インタビューに答えてくださる訪問看護師さんは、皆さん感動できる場面として、あるいは訪問看護の特徴として、看取りを挙げられることが多いです。その背景には、個人を尊重した生き方と同時に死に方を大事にしている在宅医療の原点が垣間見られます。死亡の場所は、昔と逆転し、亡くなる方の約8割の方が病院であり、在宅でのお看取りは2割に満たないのが現状です。超高齢社会の中で多死社会を迎えた今、物理的に病院で最期を迎えることが困難になります。最期を自分らしく、どのように迎えたいか国民一人一人が考える時期に来ているようです。
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