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「生きる権利」、「最善の治療を受ける権利」と「個人の幸福追求権」、「自己選択権」の齟齬

医療者が掲げる理想とクライアントが望む理想

 最近、悔しいけど考えさせられる事例がありました。私は、クライアントの「医療を中止し、早く退院したい」という希望を叶えることができませんでした。

 未熟児で生まれた子供を救ってくれたのは医療の力です。クライアントは自然療法を望み、医療が必要とする検査や治療を拒否し、子供の育つ力を信じ、退院を希望しました。しかし、未熟児性による無呼吸が問題となり、一定期間の無呼吸がないという事実を確認できなければ退院の許可が出ませんでした。私は、退院後の子供の安全性を確保するために、医師を始め、訪問看護他、社会資源を利用し、退院を進めるべく準備をしましたが、医療の主張は、自己決定ができない子供だけに「生きる権利」、「最善の治療を受ける権利」があるということでした。これに反論することは誰もできません。では、医療の主張が正しいのでしょうか。

 今回は、退院まじかだったため、弁護士さんへの依頼はしませんでしたが、過去の判例には、命は当然大事ですが、「個人の幸福追求権」、「自己選択権」の新しい人権の根拠となる権利が示されていました。多様化の時代に、人権が守られることは重要であり、一方からだけの視点で物事を捉えてはいけないと思いました。医療が正しいとは限りません。私たち医療者は意識をしなくても、命を最も優先した考えを取ります。それが当たり前で、正しいことであると考えがちです。しかし、立場変われば色々な考えがあって当然です。クライアントの希望をただただ叶えたかった。それができる状態と判断したからです。この事例から多くのことを学びました。医療が正しく、患者の権利がおざなりにされることは避けなければいけません。医療者も多様化の時代に合わせ学ばなければいけません。当たり前と思っていることが本当にそうなのか?医療者だけでなく、多くの方の意見を取り入れるべきです。

 NHKの朝ドラ「虎に翼」の中で、戦後、法律が変わっても、「平等」に対する意識が変わるには時間がかかり、今でもまだまだ課題を残しています。ドラマの中で、「判決はくつがえらなくても、おかしいと声を挙げた人の声は決して消えない。その声がいつかきっと誰かの力になる時がきっとくる」というくだりがありました。私の仕事は、患者さんや家族の意思決定を支援することです。医療が第一に挙げる「命」だけではない選択をすることも多々あります。先入観を持たず、クライアントの希望する理想を追求したいと考えます。

 最後に、病院の医師は丁寧に対応していただきました。これも、ドラマで展開されましたが、誰も間違ってはいないのです。病院も私も理想を掲げている。理想と理想のぶつかり合いなのです。どうしたら理想に近づくことができるのかを考えていく必要があるということだと思います。

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